SOULMATICS MEMBER'S留学記

 

名前:Naoki Yamamoto

 

留学先:ブリスベン

 

国:オーストラリア

 

留学年:2002

大阪Soulmaticsの山本尚希と申します。オーストラリア・ブリスベンに留学し、帰国して6年程経ちます。私が1年間ブリスベンで経験した事がこれから留学を考えていらっしゃる人に少しでも役に立てばと思って書かせて頂きます。と言っても、内容のほとんどが失敗談の様な気がします。ですが皆さんが失敗なさらない様に書かせて頂きます。

●私がなぜオーストラリアに留学したか?●私は18歳の時に音楽専門学校に入学し、今後の目標を何も見出せないまま卒業しました。卒業後、池末先生のゴスペルの授業にお手伝いとして参加させて頂ける事になり、そこでリチャード・ハートリー氏のライブや池末先生のゴスペルを経験しました。その後、信さんと食事をしている時に将来について質問され、親が自分に対して期待する音楽活動とこれから自分が学んでいきたい音楽も道が違っており、その事を信さんに打ち明け、最後には恐れ多くも信さんやリチャードさんと仕事がしたいと言ってしまい、それだったらまず英語を話せないと駄目だという事で3年間の貯金プランを立てて留学への決意を固めました。また、なぜオーストラリアになったかというと信さんが一度、Queens Land Universityに視察に向かわれた際に語学を教えるレベルが高く、英語を学ぶ環境として適していると判断された事が一番の理由、そして当時物価も安く、1ドル78円程で円高だった為、自分には適した国だったのです。

●留学までの3年間●決意を固めてから留学するまでの3年間はとても有意義な学習時間だったと思います。今までアルバイトはしませんでしたし、長く続いた事もありませんでした。貯金なんて一切出来ませんでした。が、目標を得た事によって頑張れる事を経験しました。引っ越し、解体作業、建築資材搬入、搬出、繰り返しの仕事をしていました。筋トレと言ってその当時、仕事に行っていました。仕事を通して出会う方達に教えてもらう事がたくさんあり、そういった経験を重ねるにつれてお金の価値を理解する事が出来、今まで学費を何とか用意してくれていた親への感謝の気持ちへ変わりました。同じ時期にSOULMATICSとしてもいくつか仕事を経験させて頂き、学生の気持ちからプロへの意識と少しずつ変わり、そういった心境の変化が留学してからの「学ぼう」という意欲につながったと思います。この3年間がなければまた、音楽専門学校に入った時の様な間違いもしていたように思います。間違いがない様にしたいのですが私には選択肢が3年間の貯金プランというものしかありませんでした。なので、このような形で留学資金を用意しましたが人それぞれのプランがあると思います。親のサポートを受ける事が可能なら出来るだけ早く行くべきだと思います。親へのありがたみを感じ、一生懸命勉強すればよいと思います。また、もうすでにお金が貯まっている人はすでにその当時の自分よりはるかに計画的で自立できている方だと思います。なるべく早く行く事をお勧めさせて頂きます。

●留学後、語学学校、ブリスベンでの生活●語学学校(ICTE)では私はレベル2からスタートする事になります。初歩のレベルで毎日が勉強というよりは毎日が英語を使って遊ぶというようなものでした。そこで自分の英語への悪い印象が消え、もっと話したいと思えました。東南アジア諸国の英語の発音には苦戦しましたが楽しくブリスベンの学校生活をスタートさせる事が出来ました。その一方、私生活は散々なもので老夫婦の家に5週間住む予定になっており、ビザの関係上、2週間遅れで到着しました。そして、何故かあまり歓迎されず到着しました。金曜日に到着し、土曜日、日曜日と自分自身で勉強をし、2日間過ごしました。散歩も2時間もあれば勇気を出して歩ける所までは到達してしまい。それ以上は断念し、暇な時間を過ごしました。その日の晩、おじいさんが私に一生懸命、学校への向かい方を説明してくれましたがおじいさんの英語がかなり訛りの強いオーストラリアン英語で私がトレーニングしてきた英語はアメリカ発音だった為、さっぱりおじいさんの言っている事が理解できず、結局、近くのバス停まで言って教えてもらいました。たぶん「ここから乗るんだよ」みたいな事を説明してくれていたのだと思います。皆さんに参考までに僕がした英語の聞き間違いを紹介させて頂きます。英語の訛りはたくさんあります。私が間違ったのはAustralian EnglishとAmerican Englishの違いでした。細かく見ればたくさんあるのですが特に発音上「エイ」と発音するものはオーストラリアン英語では「アイ」と発音します。逆に「アイ」と発音する音は訛りがひどい人なら「オイ」と発音します。おそらく金曜日の晩、おじいさんは「You're going to school on Monday」とでも言っていたのだと思います。文面で見ると大した事ありませんが音にすると最後の単語の「マンデイ mandei」のところが完全に「マンダイ mandai」となるのです。僕の頭の中には「You're going to school on マンダイ mandai」と流れてきており、文脈を考えればわかる事ですが完全に知らない単語が出たと思っている自分は混乱し、「マンダイ」という方法で学校に行くのか、マンダイという乗り物があるのかと真剣に悩みました。この他にハプニングは結構ありまして、それをあげさせて頂きます。事件1「携帯の暗証番号と銀行の暗証番号を間違えてキャッシュカードをATMに食べられた事件」内容…ブリスベンに着いて間もない頃、プリペイドの携帯をブリスベンのシティーという所で契約しました。その暗証番号をANZバンクというオーストラリアによくある銀行の暗証番号と間違え、3度入力し、ATMの機械にカードを吸収されるという事件。それによって起きた結果…ホームステイをやめ、シェアハウスに住む為に頭金を引き出すのに必要だったお金の為、かなり頭が真っ白になりました。おまけにシェアハウスには住めず、ホームステイ先の延長も出来ず、3日間バックパッカーで過ごすという事になる。なぜ3日と思うかもしれませんが金曜日にATMのやつにやられた為、月曜日まで野宿とはいかず、そうなりました。この時が一番ビビりました。事件2「在日コリアンである事の説明をやめた為、すぐ隣の日本人グループの方達を「ひそひそ」してしまう。」内容…僕の名前は日本では「山本 尚希」、朝鮮語で「李 尚希」となり、音にすると「リー・サンフィ」[Lee Sanghee]となります。オーストラリアに着いてからはもちろん自分は[Sanghee Lee]となる訳で、事情を知っている日本人の方には説明も早かったですが、いろいろな人へ同じ説明をする事になり、もう説明せず日本語の話せないコリアンを装っていました。意外に便利な事があり、見ず知らずの人に日本語で話しかけれずにすみました。周りも僕を「サンフィー、又はサンヒー」と呼ぶので皆、英語で話しかけてくるのでした。ですが日本語をわからないと思って隣の日本の方達が僕をネタにして日本語で話していました。完全に理解できる内容でどうしようと思いながらも横で黙っていました。そうしたら私の他に留学で来ているメンバーに遭遇し、日本語で話してしまい、ゆっくり日本人グループを見た時はそれは奇妙な空気が漂っていて(ひそひそと声はするし)本当に驚かせてしまいました。申し訳ありませんでした。日本語で話せば説明もすぐにできるので僕と同じ状況の人は説明しましょう。他にもたくさんあるのですが留学記に書けない内容もあるのでこれくらいにさせて頂きます。私のICTEでの学校生活、最終的にはレベル5の次のEIBCというクラスのなりました。日本語でも話し合った事のない社会問題や環境問題について話します。その都度、題材を渡され、それについて解決策を出すという形でした。クラスでアジア人は2人程でした。とても挑戦的で勉強になったと思いますが、当時の僕のボキャブラリーではまだ数が少なく苦労しました。ビジネス用語で会話しているのに自分だけすっごい友達に意見している感じになるのです。ここで私の間違い…日本語でも話した事がない題材を英語でできる可能性は低いという事です。なので皆さんには最高レベル6に進まれる事をお勧めします。また英語検定に対応したクラスがありますのでそちらをお勧めします。

●ICTEを経て→スタンソープ(ブリスベンから西へ数キロ)でのフルーツピッキング●ICTEでの40週の語学勉強を経て、アルバイトをしたいと思い、いろいろとシティーの日本料理店や清掃会社などアルバイトできる所に面接に行きましたが決まらず、最終的にブリスベンを離れ、フルーツピッキングに向かいました。フルーツピッキングにも比較的楽な仕事が多いように思われますが内容によってはつらいものもあります。スイカ狩りは特に大変そうです。完全に力仕事になるようで女性にはお勧めできません。お役に立つか分かりませんがよりよいフルーツピッキングの情報を得たい場合はバックパッカーという所に1度会費を払うと会員になり、最新の情報を教えてくれ、しかも紹介してくれます。変にお金を節約して直接農家に行くよりも安全です。バックパッカーで知り合った日本人の女性が経験したのですが農家によっては仕事料金を支払わない所もあるそうです。なのでバックパッカーを通して仕事を請ければそういった心配もかなり減ると思います。バックパッカーでの情報収集をお勧めします。もちろん6年前の情報ですから現地に行かれた際は再度、お調べ頂くのが確実です。話を戻します。スタンソープを訪れ、英語を話せると言い切った私は日本からのワーキングホリデイチームではなく、インターナショナルな方が集まっているリンゴ狩りをする事になりました。少し不安もありましたが内容は非常に簡単でした。男女二人のペアを組まされリンゴの木の半分半分を手入れしていきます。私が訪れた10月頃は収穫の時期ではなく、主な作業はより良いリンゴを育てる為に余計なリンゴを落としていくという作業でした。僕のパートナーはシーラという二十歳のカナダ人でした。1ヶ月間、彼女と罵り合いながら仕事をする毎日がスタートしました。小さなリンゴを指でつまんで落とすのでとにかく指が痛くなるので、なれない場合はバンドエイドや軍手をして行います。それでも痛くなるのでシーラはずっと愚痴を言っていました。そのおかげで聞き上手になったと思えました。聞くのが上達すると話す事も上達するのか、最後の方は二人ともよく話をして仕事をしていました。このリスニングやスピーキングがICTEの40週に勝るとも劣らない経験となり、自分の英語力を成長させてくれました。それだったら初めからフルーツピッキングに行けばよいと思いの方もいるかと思いますが私自身もそう思い、その当時よく考えましたがICTEで学んだ基本的な知識があるからこそ口語的な言葉が理解でき、会話の幅が広がったと思います。私が働いた農園を仕切るマネージャーがとてもユニークで訛りがひどい人でした。私の40週の英語の実力では理解できませんでした。おそらく80週いたとしても難しいかと思います。背丈は195cm程あり、いつもティアードロップのグラサンをしており、かなり怖い外見なのですが、たまに「よく働いてくれているからビスケットをやるよ」と言ってお菓子をくれたんですが…どういう癒し意味があるのか、暑い中、喉をカラカラにしている私達にビスケットをやるよと言われてもおいしくいただけませんから!と思っておりました。また彼は農園に舞い降りるカラスをチャーリーと呼び、「君達のお昼ご飯を狙っているから気を付けなよ」とよく笑みを浮かべて教えてくれましたがそんな事は一度も起きないままフルーツピッキングは終了しました。仕事の内容について初めは1本25セントの木を任されていましたが仕事の質が上がり、だんだん1本50セント、1本1ドルと上がり、最終的には1本2ドル50セントの木を任されるようになり、マネージャーにはこの農園の中でベストワーカー(最も素敵な労働者)だと言われてしまいました。初めは1日50ドル程しか稼げませんでしたが慣れてきた頃には130ドルほど稼げるようになりました。契約も変更になり、時給制へと変更になり1時間13ドルと言われました。この他にもドイツ人、アメリカ人、フランス人など個性的なメンバーがいて、それぞれの英語に耳を慣らす事ができ、それぞれの国の英語を堪能できたのもフルーツピッキングならではと思います。皆さんも留学の最後はビザを変更してフルーツピッキングを考えてはどうですか?

以上で私の留学記を終了させて頂きます。本当に計画力がなく、失敗を多く重ねたと自分自身を改めてそう思います。ですがそれぞれの失敗の後には自分自身が大きく成長したことも確かです。これから留学を考えていらっしゃる方は微妙なラインですが参考にして頂ければ幸いです。また在日コリアンの方で留学を考えられていらっしゃる方へ…韓国語、英語、日本語を話す事が出来ればそれだけで仕事の幅も広がるはずです。勇気を出して、まずは親に相談してみて下さい。決まって親は頑固ですけど…

 

Naoki Yamamoto

 

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